蓮沼執太について何かを断定的に語ろうとするたび、その試みは失敗するように感じる。彼の仕事は、ジャンルの垣根を越え、ポップミュージック、ロック、エレクトロニカ、アンビエント、サウンドアートなどを軽やかに行き来するように映る。だがその身軽さは、単なる「越境」という言葉だけでは捉えきれない。外部からの安易なカテゴライズや評価を拒むように、つかみどころがなく、輪郭はすり抜けていってしまう。
初期から彼の音楽には、エレクトロニカ的文脈を感じていた。同時に銀座の資生堂ギャラリーや、京都の寺院といった異なる場で展開されたフィールドレコーディングやインスタレーションでのサウンドアーティストとしての仕事も思い出される。しかしその印象が今でも強く刻まれていたせいか、彼がラッパーとの共演や打楽器奏者との即興的なやりとりを見せたときでさえ、さらにはフジロックでのステージ上の姿にさえ、「サウンドアートや環境音楽の資質を持つ者が、あえて音楽家を集め、また自らも演者に擬態し、サイトスペシフィックなパフォーマンスをしている」という感触が私には拭えなかったのである。奇妙なのは、この印象が彼の演奏歴や活動の広がりと連動して変化するわけではなく、むしろ保たれ続けていたことだ。軽やかであると同時に常に異物感をはらみ、音楽シーンの中にいるはずなのに、どこか外から見つめるまなざしを帯びている。その不思議さが、不思議なまま揺らぎ続けている。
本作は、蓮沼執太チーム――石塚周太(G)、斉藤亮輔(G)、itoken(Dr)、尾嶋優(Dr)という布陣――による初のスタジオ録音アルバムである。彼らは2008年以来続く蓮沼執太フィルの中核メンバーで、当然のことながらアンサンブルの妙があり、蓮沼の指揮官としての資質が浮かび上がる。蓮沼が高校時代に衝撃を受けたという名曲「Seneca」をカヴァーし、さらにバンドの中心人物ジョン・マッケンタイアにミックスさせている。予備知識なしに耳を傾ければ、「Tortoiseの新作」と信じる人がいてもおかしくないほどの完成度だ。
録音内容へ目を向けてみたい。本作では、それぞれの楽器は巧みに定位され、同時に調和している印象を受ける。ギターの歪んだ音色によってロックの側面は濃く示されているが、一方で蓮沼の音楽における「間」の要素や、クリアな録音、明るい感触は失われていない。ジョン・マッケンタイアはその特質を汲み取りつつ、デジタルとアナログ、生音と電子音を自在に横断してきた経験をミックスに存分に活かす。ツインドラムであっても決して過剰にならず音楽的で、ギターのミュートされたアルペジオは効果的に響きテクスチャーに奥行きを与え、シンプルなビートもアクセントはソリッドだ。そこに蓮沼によるヴォーカル、アナログシンセ演奏も共に自然に溶け込み、全体として巧みにオーケストレーションされ、構築されていく仕上がりには舌を巻く。
本作に触れたことで、私は自らの理解を修正すべきなのだろうと感じ始めた。これまで私は、蓮沼の音楽にパスカル・コムラード的な環境音楽のエッセンスを重ね合わせてきた。しかし今作で鮮明になったのは、むしろTortoiseのジャンル横断性が、彼をある程度は形づくってきたのではないか、という点だ。そして蓮沼は今まで影響を受けていたが、今作でより「ポストTortoiseであること」をよりはっきりさせたのではないか。そう考えると、不思議な説得力を伴って彼の活動の軌跡が結び直されていく。ジョン・ゾーンやTortoiseに独自の「メタ・ジャンル的アプローチ」を持っていたように、蓮沼には彼独自の「メタ・ジャンル的アプローチ」があるのではないか。つまり本作は、単なるオマージュの域を超え、蓮沼自身の音楽的立脚点を自己確認するドキュメントとなっているように思え、その意味でもエポックメイキングな作品と感じてやまない。
大西穣