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灰野敬二 + 蓮沼執太 : う た (LP)
灰野敬二 + 蓮沼執太 : う た (LP)
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2025年9月3日(水)にリリースされた灰野敬二と蓮沼執太によるコラボレーション・アルバム『う た』のアナログ・LP盤の発売が決定!アルバムリリースを記念して10月17日(金)に灰野敬二 + 蓮沼執太「おと」東京公演にて来場者限定で先行販売リリースされる。会場は東京・新宿にある淀橋教会。
*こちらのページでは予約販売を受付中。発送は10月末を予定しています。
それぞれの道で⾳楽と歌のアプローチを⾏ってきた、約30歳離れた⼆⼈の⾳ 楽家がこのたび邂逅。 蓮沼執太がほとんどの楽器演奏と歌詞を⼿がけ、その⾳楽と⾔葉に対して灰 野敬⼆が瞬発的にメロディーを発声させることで1枚のアルバムが完成した。
今回撮りおろしされたアーティスト写真は池⾕陸が撮影。ジャケットのアー トワークは⼩池アイ⼦が担当。楽曲のコンセプトでもある⼝から発⽣する 「うた」をモティーフとしており、灰野と蓮沼のそれぞれの⼝元で⾔葉が表 現されている。
Track List
1. 空
2. 休
3. 噴
4. 数
5. 間
6. 溢れ出る微笑みの雫たちがおりてくる
7. 景
8. ⼈
9. 指
10. 潜
発売日
2025年10月17日
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灰野敬二と蓮沼執太の最初の出会いは2017年の11月にさかのぼる。渋谷のライブハウスで開催したイベントの一環で、両者ともに共演予定を知らないまま舞台に立った。私はうかつなことにその場に居合わせられなかったが、即興の行為を、ただ一過性の出来事にとどめない灰野の音への向き合い方が蓮沼をはげしく触発したであろうことは想像にかたくない。その後ふたりは2019年の京都ロームシアターで蓮沼が企画構成した『MUSIC TODAY IN KYOTO』に灰野が出演し、パンデミックの最中の2021年9月には『う た』と題した公演を渋谷WWW Xでおこない、翌2022年には神戸の横尾忠則現代美術館にてパフォーマンス、つづく2024年には横須賀の無人島「猿島」の「愛の洞窟」で共演するなど、協働作業をかさねてきた。
本作は8年にわたる両者の歩みの中間点にあたる2021年11月26、27日の2日、エンジニアのZAKのストロボスタジオでの記録が下敷きである。 演奏にあたっては蓮沼の言葉(歌詞)のみ灰野の手元にあり、手の内をあかさぬまま演奏にのぞみ、蓮沼の音に反応するように灰野が言葉に旋律を付していった。方法そのものは灰野+蓮沼のパフォーマンスに通底するもので、表題の『う た』はその別称であり、あえて名づけるなら彼らを体現する符牒のようなものではないか。いずれにせよ冒頭の「空」から終曲の「潜」まで、全10曲で展開する『う た』の音世界はほかに類をみない鮮烈さをしめしている。おどろくべきは灰野が全面にわたって蓮沼の歌詞を歌っていること。いうまでもなく灰野敬二は本邦アンダーグラウンドを代表する音楽家で、ギターをはじめ、打楽器、各種民俗楽器、電子楽器にいたるまで、幾多の楽器を奏する達意の演奏家だが、1970年代初頭、ロストアラーフでシーンにあらわれた当初はフリーに展開するピアノやドラムに拮抗する声を自在に操る歌い手の認識であった。その点でも声は灰野の音楽の土台であり、経歴を重ねるにしたがい拡張する表現領域に比例し、歌もまた余人をもってかえたがいものになった。同時に灰野は歌の形式にも間断なき考察を加え、それはやがて発声~歌唱法はもとより日本語の音と響きをめぐる問い、すなわち「歌(うた)」を通じて言語の音楽的側面である「詩(うた)」を呼びさます道筋ともなった。その功績は何度強調してもしすぎることはないが、私にとって灰野の「うた」の遠心点は彼の神秘的な言語感覚と即興的な身体性と強く結びつくものでもあるから、蓮沼の言葉による灰野の「うた」を耳にしたとき、あたかも眼前に新境地がひろがる思いがしたのである。
むろん灰野は哀秘謡やハーディ・ソウルでカバー集を出すなど、これまでも他者の言葉を歌ってきたが、発声と意味作用と(言葉の)結合のアスペクトにおいて灰野の歌がこれほどストレートに届くのはマジカル・パワー・マコとの1973年の「空を見上げよう」あたりまで遡る必要があるかもしれない。
そのような作品を世界にもたらしたことに蓮沼執太の構想のラディカルさがある。たしか蓮沼執太フィルの2023年の『シンフィル』リリース時の取材のさい、私は蓮沼の書く歌詞の主語が非人称的であると指摘した憶えがある。時間や空間や環境や風景や無音や街のざわめきといった対象を虚心にみつめるうちに身体の輪郭がおぼろげになり、視点に純化していくような感覚。そのせいであらゆる場に遍在するような身体感覚──『う た』ではそれが脱人間中心主義な域にまで高まるのだが、さりとて人間の営みをなおざりにするのでもない。いわばこの多声的なあり方こそ『う た』の主観性であり、そのような言葉を託せる人物はおそらくこの地上に灰野敬二をおいてほかになかった。
見上げた空から降りそそぐ光の塵が雫となりふたたび上空へ上昇する。生態論(エコロジー)的な循環の力学を音楽化するにあたり、蓮沼はギター、ピアノに各種シンセ、打楽器、フィールド録音などを駆使し、歌詞(ことば)の背景や場面を描き出していく。第一印象こそ実験的だが、和声、音色の選択や編成には蓮沼らしいポップな閃きがあり、創意工夫に富むサウンドは『う た』の全角七個分のブランクにひそむ「おと」や「きく」ことの多義性をほのめかすようでもある。
2021年11月の録音以降も、蓮沼のスタジオで器楽面のダビングを行い、灰野なじみのスタジオで歌を試すなど、原石を研磨するかのような過程を経たことによる輝きといえばいいだろうか。いたずらな過剰や抒情にながれない仕上がりには恬淡とした味わいもある。(了)
テキスト:松村正人