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シーシーウー・ツアー YCAM公演
シーシーウー・ツアー YCAM公演
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meet the artistとは
YCAMと市民が、年間一人の講師と共に、1年を通じてメディアについて考察しながら共同でクリエイションを行なうプロジェクトです。
長期ワークショップmeet the artist 2011では、市民コラボレーターが講師の桂英史さんとともに、「図書館で聴けるラジオ」を作ってきました。
声によってメッセージを届けたり、人の声に耳を傾けたりすることに、深い意義を見出した1年でした。
1年の活動の集大成を総括するトークと、ミュージシャンを招いての音楽ライブを、無料にて公開収録します。
録音の内容は、3月末までライブラリーラジオで放送されるとともに、4月以降配布予定のCDブックレポートにも収録されます。
「おと」「こえ」「うた」そして「ラジオ」
人間はまだ胎児の頃から音や声の強弱や抑揚を識別することができます。
光よりも音を先に識別することを宿命づけられた人間にとって、ラジオが伝える「おと」「こえ」「うた」は共感と了解の共同体をもたらすきっかけとなります。そんなラジオの特徴をマーシャル・マクルーハンはうまい具合に「部族の太鼓」という比喩を用いて論じました。
「部族の太鼓」は大きな時代の変化に直面しています。多くのメディアがそうであるように、ラジオも大きな曲がり角にさしかかています。テクノロジーそのものもいろいろな意味で私たちの知覚に大きな革命をもたらしています。
漆黒の闇にある危機に人が直面した時、声は人を勇気づけ助けます。自己主張することを「声をあげる」と言い、破綻を「音を立てて崩れる」とたとえます。聖書には本質から逸脱した人のことを「歌を忘れたカナリア」と綴られています。「おと」「こえ」「うた」が人間にもたらす深い体験は、本質的に本能であると同時に、危険や不安を、不安定さを取り除くという意味では倫理的なものです。
大小の危機をくぐり抜けなければならない日常生活にあって、どんな局面に遭遇しても、その個人にとって、楽しめてしかも頼れる「おと」「こえ」「うた」を伝える「ラジオ」。この「部族の太鼓」はどうあっても生き続けるのではないでしょうか。小さくても確かな部族を作る太鼓でありたい。そんな志で始めた「ライブラリーラジオ」。そのフィナーレにあたって、「おと」「こえ」「うた」の現場に携わる音楽家とメディアの研究者が、私たちの生活のなかで──特に大きな時代の転機に──本能的で倫理的な「おと」「こえ」「うた」をめぐる表現について語ります。
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